- 汚名挽回についての論争
- 一部マスコミは「汚名挽回」を誤用としている
- 誤用ではないという反論は過去にもあった
- 「汚名(を)挽回」の古い用例・誤用指摘
- 青空文庫内での検索結果と用例
- 「汚名挽回」は誤用ではないと、辞書に記載され始めた
汚名挽回についての論争
長らく「汚名挽回は、汚名返上と名誉挽回の混交表現である」とされてきましたが、数年前から一部の辞書に「汚名挽回は誤用ではない」と記載され始めました。
国語辞典編纂者の飯間浩明さんによると、最も早く誤用であると指摘したのは1976年に出版された『死にかけた日本語』だそうです。
その指摘は、一般の方の投書を引用した後に「挽回したいのは、名誉とか勢力であろう」と結論づけられており、下記の部分を根拠にしています。
・『死にかけた日本語』35pの引用
挽回は「もとの状態にもどすこと、回復」という意味であるから、汚名挽回では、汚名の状態に戻すとか、せっかくすすいだ汚名を回復するということになってしまう
しかし、飯間さんは「『挽回』は『(よくない状態を)元に戻す』という意味があるので、『汚名挽回』は『汚名の状態を元に戻す』と考えられ、誤用ではない」と主張しています。
・『三省堂国語辞典のひみつ』47~48p引用
「挽回」には「ひきかえす(=元どおりにする)」という読み方があります。
(中略)
これと同じことで、たとえば「退勢(劣勢)を挽回する」「不首尾を挽回する」「失点を挽回する」などの表現は、どれも「よくない状態を元どおりにする」という意味で使われます。「汚名挽回」もこのグループの一員で、「汚名の状態を元どおりにする」という意味だと考えれば、まったく問題はありません。
・軍人勅論(明治時代)
世の様の移り換わりて斯くなれるは人力もて挽回(ひきかへ)すべきにあらずとはいひながら
「よくない状態を元どおりにする」という論理構造は「疲労回復」と同じです。
ただ、飯間さんの主張を支持する人が多い一方で否定する人も少なからずいて、正用か誤用かで論争になることがあります。
よく聞く否定派の意見は、上記の「ひきかえす」「退勢(劣勢)を挽回する」のグループと「汚名挽回」を一緒にする論理には無理がある、というものです。
一部マスコミは「汚名挽回」を誤用としている
現在でも「劣勢を挽回する」「遅れを挽回する」という用法は一般的に使われています。どちらも「再度マイナスの状態にする」という意味ではありません。
ただ毎日新聞・校閲グループは、この使い方を否定しています。
その原稿中に「劣勢を挽回したい考え」という表現が。これではよくある誤用の「汚名挽回」と同じで、劣勢に戻してしまうことになります。「劣勢を」を削って「挽回したい考え」と直しました。
「頽勢(勢いが衰える)を挽回する」という用法は近現代文学にも多く見られます(森鴎外『かのように』・夏目漱石『坑夫』など)。でも「劣勢を挽回する」の用法を認めないマスコミ的には、「頽勢を挽回する」も誤った使い方になるんでしょうね。
NHK放送文化研究所の引用文
×「汚名挽回・汚名回復」は「名誉挽回」などとの混用です。
誤用ではないという反論は過去にもあった
高島俊男『お言葉ですが…〈5〉キライなことば勢揃い』(2004年に出版、雑誌に掲載されたのは1999年?) 86pの引用
「挽回」には「望ましくない状態になったものを元の良き状態に戻すとい意が含まれている」のであるから、「汚名挽回」もあやまりではない、と高山さんはおっしゃるのである。
(中略)
しかし理論的にはまことにその通りであると、高山説に推服いたしました。
北原保雄『問題な日本語〈その4〉』(2004年に出版)156pの引用
「汚名挽回」を「汚名返上」に訂正する必要など最初からなかったのだ
「汚名(を)挽回」の古い用例・誤用指摘
1883年
如斯ニシテ焉ソ越後腐米ノ汚名ヲ挽回スルヲ得ンヤ
(『第二回新潟縣農談會日誌』新潟縣勸業課 p.94 2行目)
https://books.google.co.jp/books?id=XPOoPdVqTFkC&hl=ja&pg=PP101#v=onepage&q&f=false
1898年
我日本帝國の汚名を挽回する事を勉めずんばある可からず
(板垣鉾太郎「現今華族上流社會の矯風を望む」『婦人新報』第14号 婦人新報社 p.19 下段最終行)
※『復刻版 婦人新報』第8巻 (不二出版 1985年) より
1899年
今に下總は其汚名を挽回することが出來得ませぬのでごさいます(大谷嘉兵衛「輸出貿易ニ就テ」 [演説] 『第三回關東區實業大會報告』 第三回關東區實業大會事務所 p.143 9行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801290/77
※国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より
『「汚名挽回」の用例 (19世紀末~) - メモ 2013.10.10~』より引用
誤用指摘の例の早いものとしては、1976年と1977年の次の二冊があります。
死にかけた日本語: 私設・マスコミ校閱部 - 福田恆存, Seiichi Uno, Michio Tsuchiya, 国語問題協議会 - Google ブックス
5ちゃんねるの投稿者・id:Hachiさん・id:kumiyama-aさんの調査をみると、汚名(を)挽回の用例は130年以上前にまで遡れて、上記2冊の本が早い時期に誤用を指摘していたようです。
平成16年度に行われた文化庁の調査でも、高齢層の「汚名挽回」を使う割合が高かったようなので、この用法は数十年前には定着していた可能性があります。
青空文庫内での検索結果と用例
明治から昭和の作品が大部分を占める青空文庫(収録作品数1万5千以上)で、「汚名(を)挽回」「汚名(を)返上」などを検索してみました。
「汚名(を)挽回」
検索条件に当てはまった件数1
「汚名(を)返上」
検索条件に当てはまった件数0
「名誉(を)挽回」
検索条件に当てはまった件数1
・太宰治『善蔵を思う』
「これでよし、いまからでも名誉挽回が出来るかもしれぬ、と私は素直に喜んでいた」
「頽勢(を)挽回」
検索条件に当てはまった件数12
・森鴎外『かのように』
「無論この多数の外に立って、現今の頽勢(たいせい)を挽回(ばんかい)しようとしている人はある」
・菊池寛『二千六百年史抄』
「明らかに、頽勢挽回である」
・江戸川乱歩『接吻』
「一挙にして頽勢(たいせい)を挽回したお花は、今度こそ本当に泣き出した」
・夏目漱石『坑夫』
「少しく頽勢(たいせい)を挽回(ばんかい)したと云うしだいになる」
他7件
「衰勢(を)挽回」
検索条件に当てはまった件数2
・永井荷風『上野』
「故ニ温泉場ヲ開イテ以テ仲街ノ衰勢ヲ挽回セントスル也」
・永井荷風『江戸芸術論』
「しかしてこの衰勢を挽回(ばんかい)せしめたるものは」
「汚名(を)挽回」の件数が1・「汚名(を)返上」の件数が0・「名誉(を)挽回」の件数が1だった事には驚きましました。
また、「よくない状態を元通りにする」という挽回の用法は、「運(を)挽回」「勢力(を)挽回」以外にも数多くありました。
「よくない状態を元通りにする」という意味になる用法
・内村鑑三『デンマルク国の話』
「荒地挽回」
・清水紫琴『誰が罪』
「頽(くづれ)を挽回する」
・徳田秋声『縮図』
「四十過ぎての踵鉄(さてつ)を挽回(ばんかい)することは」
・徳田秋声『黴』
「製糸事業で失敗してから、それを挽回(ばんかい)しようとして」
・富田倫生『本の未来』
「一冊で比べた時の不利を挽回しようとするだけでは」
・辰野九紫『青バスの女』
「不景気挽回策」
・關口存男『新獨逸語文法教程解説』
「重大損害を挽回するには」
「汚名挽回」は誤用ではないと、辞書に記載され始めた
飯間さんが編集委員を務める三省堂国語辞典の第7版は、汚名挽回は誤用ではないと明記しています。
それに、明鏡国語辞典も誤用と決めつけられないと記載し、大辞泉も誤用説と非誤用説を併記しています。
文化庁も今のところは、正誤判断を避けています。
とはいえ、「汚名挽回」という言葉自体に抵抗がある人も多いため、この言葉を気軽に使える状況ではありません。あえて使うとしても、「誤用ではないか?」と指摘される覚悟が必要ですね。